日金山 東光寺の由来
 応神天皇二年(271年)伊豆山の浜辺に、光る不思議な鏡が現れました。鏡は波間を飛び交っていましたが、やがて、西の峰にとんでいきました。その様子は日輪のようで、峰は火を吹き上げているように見えたので、日が峰と呼ばれ、やがて日金山と呼ぶようになりました。

 同四年(273年)松葉仙人が、この光る不思議な鏡をあがめ、小さな祠を建てて祀ったのが、開山と伝えられています。

 推古天皇の頃(594年)走湯権現の神号を賜り、その後、仁明天皇の承和三年(836年)甲斐國の僧、賢安が、日金山本宮から神霊を現在の伊豆山神社のある地に遷したと言われています。(走湯山縁起云云)

 鎌倉時代は、源頼朝の篤い信仰に支えられ、現在本尊として祀られている延命地蔵菩薩像も、頼朝公の建立によるものです。

 地蔵菩薩は、地獄に其の身を置いて、地獄で苦しむ者を救ってくれる仏であることから、死者の霊の集まる霊山として篤い信仰があり、今も尚、春秋の彼岸には多くの人が登山して、神仏や先祖供養のために、卒塔婆供養をしています。
日金の鬼伝説
 日金の山に鬼がいる…昔から、伊豆地方の死者の霊魂は、みな日金山に集まるといい伝えられ、春秋の彼岸に日金山に登ると、通行人の中に、会いたい人の後ろ姿を見ることができると言われてきました。そして日金のどこかに地獄、極楽があると信じられているのです。

 天正10年12月、朝比奈弥太郎が、家康の命をうけ韮山の北条氏規を訪ねるため、十国峠を越え日金の山を下る途中、六尺豊かな大男に出会い、その男が亡者を迎える鬼であったという話が伝えられたものです。