概要・由来
応神天皇二年(271年)伊豆山の浜辺に、光る不思議な鏡が現れました。鏡は波間を飛び交っていましたが、やがて、西の峰にとんでいきました。その様子は日輪のようで、峰は火を吹き上げているように見えたので、日が峰と呼ばれ、やがて日金山と呼ぶようになりました。同四年(273年)松葉仙人が、この光る不思議な鏡をあがめ、小さな祠を建てて祀ったのが、開山と伝えられています。
推古天皇の頃(594年)走湯権現の神号を賜り、その後、仁明天皇の承和三年(836年)甲斐國の僧、賢安が、日金山本宮から神霊を現在の伊豆山神社のある地に遷したと言われています。(走湯山縁起云云)
鎌倉時代は、源頼朝の篤い信仰に支えられ、現在本尊として祀られている延命地蔵菩薩像も、頼朝公の建立によるものです。地蔵菩薩は、地獄に其の身を置いて、地獄で苦しむ者を救ってくれる仏であることから、死者の霊の集まる霊山として篤い信仰があり、今も尚、春秋の彼岸には多くの人が登山して、神仏や先祖供養のために、卒塔婆供養をしています。
熱海市指定文化財
彫刻 銅造延命地蔵菩薩像及脇童子像
指定 昭和52年4月25日
本尊の延命地蔵菩薩像は半跏像で、錫杖、宝珠を持ち、反花蓮華座、輪光背の銅造大作である。
本尊像高 324センチ
脇童子像高 掌善91センチ 掌悪93センチ
本尊台座に「武州江城の住、大工長谷五郎兵衛隣作 宝珠朝倉清兵衛内儀 願主法印盛算」脇童子像の背に「願主法印盛算 寛文11年辛亥年4月5日 大工横山半右衛門正重」の刻銘がある。 寛文11年は1671年
日金山は中世から「死者の霊の集まる山」として、伊豆、相模から駿河、三河にわたって、地蔵信仰のメッカとして栄えた。